25歳までにデビュー出来なかったら営業マンになれ!ギリギリ間に合った!「Rainy Blue」徳永英明


「Rainy Blue」徳永英明
1986年1月21日リリース

中学の時にラジオから流れてくる音楽に励まされ、ミュージシャンになりたいという夢を抱いた徳永英明さん。

高校卒業後、19歳の時に、アルバイトしながらミュージシャンを目指すため、関西から上京。その時に、父親からは「25歳までにデビューできなかったら、自分と同じ保険の営業マンになれ」と忠告されていたそうです。

オーディション番組「スター誕生!」に出場。山下達郎さんの「RIDE ON TIME」を熱唱するが、スカウトされず。その時の、合格者は、松本明子さんだったそうです。

チャンスがつかめず、曲を作りながら、バイトに明け暮れる日々。そんな時に、知り合いのアマチュアミュージシャンから1本の電話が。「レコード会社が、ツインボーカルのバンドを探している。バンドメンバー集めて軽井沢で合宿して、売り込もう。」

徳永さんが、軽井沢へ向かうとデビューの話しはウソで、喫茶店のバイトが足りないので、騙されて呼ばれた事が判明します。しかし、お金もなかったので、渋々バイトをはじめる事に。でも、これがあの名曲が生まれるきっかけの一つとなったのです。

当時の軽井沢は、ミュージシャンや役者など夢を追う人達が、観光シーズンに資金を貯める為に、バイトしていました。そこで知り合ったのが、レイニーブルーの作詞をした大木誠さん。2人はバイトが終わると、一緒に曲作りをしました。徳永さんの「ザ・レイニーシーズン」という曲と、大木誠さんの詞をあわせたのが、「レイニーブルー」の原型。

東京に戻ってからもバイトを続けながら、デモテープを作る日々。そして、音楽業界のお客さんが多いという喫茶店でバイトし、チャンスを求めて、作った4曲入りのデモテープを配る日々。

そんな中、1人のお客さんが、ちゃんとデモテープを聴いてくれ、アドバイスをくれました。「君のやるべき音楽は、前の3曲じゃなくて、最後の曲レイニーブルーみたいな音楽を目指した方がいい」

そこで方向性が決まり、「第2回マリンブルー音楽祭」に参加するとグランプリを獲得。半年後の1986年1月、徳永英明さんは、アマチュア時代から歌い続けてきた曲「レイ二—ブルー」でデビューを果たしたのでした。

徳永さんがデビューしたのは、24歳10カ月の時。父親との約束「25歳までにデビュー出来なかったら保険の営業マンに」を守る、ギリギリのタイミングでした。

【カバー】

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