竹内まりや「不思議なピーチパイ」女子大生シンガーとアイドル扱いをされてしまい悩みも

「不思議なピーチパイ」竹内まりや 1980年2月5日リリース

アイドル扱いをされてしまい、出世曲でありながら悩みも抱えた曲!

慶応大学時代、音楽サークルに所属。杉真理さんの作ったバンド「ピープル」で、キーボードとコーラスを担当し、音楽コンテストに出場しました。そのコンテストに同じく参加していたのは、佐野元春さんや、庄野真代さん。

こうした音楽活動を経たのちに、ソロシンガーとしてデビューする事に。1978年に、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』をリリース。

アルバムの作家陣には、山下達郎、細野晴臣、高橋幸宏など、蒼々たるメンバーが名を連ねているのですが、当時はまだ彼らも無名で、一部の音楽通には、高い評価をされたものの、なかなかヒットには繋がりませんでした。

この頃は、女性アーティストというジャンルが確立されておらず、この「不思議なピーチパイ」がリリースとなった1980年は、松田聖子さんのデビューと重なり、女性アイドルブームに。そこで、竹内まりやさんも、アイドルのような扱いをされてしまいます。

歌の実力よりも、「現役慶応女子大生シンガー」や「ミス桜の女王」など、わかりやすい、キャッチフレーズを優先させられました。

ただ、そのわかりやすさがウケて、ザ・ベストテンの今週のスポットライトで紹介されると、「不思議なピーチパイ」は、シングルチャート3位まで上昇。そこから歌番組へのオファーが続くようになり、竹内まりやさんの名前は、全国に知られるようになったのです。

ただし、それと同時に悩みも生まれました。アイドル扱いされているので、バラエティー番組や、グラビアなど、歌以外の仕事もしなければなりませんでした。

その、自分の思い描いていた活動とのギャップについて相談していたのが、アルバムなどに参加していた山下達郎さんで、その後、2人は接近していく事になります。

竹内まりやさんを世に出した曲でもあり、悩ませた曲でもあるのが、この「不思議なピーチパイ」なのです。

この曲の1年後に、アイドル的な活動に区切りをつけるため、一時休業宣言。2年後の1982年に、山下達郎さんと結婚しました。

【カバー】

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