チェッカーズ「涙のリクエスト」アメリカン・グラフィティの世界を描いた!

「涙のリクエスト」チェッカーズ 1984年1月21日リリース

作詞家の売野雅勇が、フミヤの好きだった「アメリカン・グラフィティ」の世界を描いた!

「自分もバンドをやってみたい」。当時中学一年生だった藤井フミヤさんは、テレビで、ロックンロール・バンド「キャロル」の解散コンサートを見て、音楽に目覚め、バンドを結成します。

映画「アメリカングラフティ」の世界にも憧れ、地元で行われていたダンスパーティーに参加し、演奏。そこで知り合った他のバンドと合体し、チェッカーズが誕生しました。そのバンドで、コンテストに出場すると、グランプリを獲得し、とんとん拍子に、デビューの話が舞い込みます。

1983年「ギザギザハートの子守歌」で、鮮烈なデビュー。当時は、松田聖子さんや中森明菜さんがヒットを飛ばしていたアイドル全盛期。チェッカーズも、アイドルの手法を使って、売り出されました。

チェッカーズという名前は、ずっと前からあったのですが、デビューと同時に、グループ名にあわせて、あえてアイドル風のチェックの衣装を取り入れる事に。その方が、わかりやすく、印象に残りやすいという作戦でした。

衣装に加え、藤井フミヤさんの、前髪の真ん中だけ伸ばしたヘアスタイルが、人気となり、当時の若者の間で、憧れの存在となっていきました。

楽曲の方も、当時流行していた歌謡曲に近い、親しみやすい楽曲で、売り出されました。

「涙のリクエスト」に出てくる歌詞の世界も、コインを入れて、ダイヤル回して、リクエスト。当時も、ダイヤルの電話は残っていましたが、それでも古い印象。

これは、オールディーズ風のサウンドに合わせて、作詞家の売野雅勇さんが、フミヤさんの好きだった「アメリカン・グラフィティ」の世界を描いたからです。

こうして、アイドルに近い存在でありながら、どこか懐かしさと、親しみのある楽曲が、大人にも受け、チェッカーズは、この曲でザ・ベストテンで1位を取ると、大ブレイク。

それをきっかけに、「ギザギザハートの子守唄」「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」と、3曲が、ベストテンにランクインし、全国に、その名を轟かせたのでした。

この曲は、アメリカン・グラフィティがモチーフになったと言いましたが、映画のキャッチフレーズは「1962年の夏、あなたはどこにいましたか?」でした。

【カバー】

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