「若者のすべて」フジファブリック 2007年11月7日リリース
一番いいたかったのは最後の『すりむいたまま僕はそっと歩き出して』
フジファブリックのインディーズ時代の楽曲である「茜色の夕日」。これをメジャーでシングル化するにあたって聞き直してみたら、いやに沁みてきたと志村正彦さんは語っていました。作った18歳の頃のあの感じは出せないけど、東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じにしてみたと。
「若者のすべて」は、この「茜色の夕日」以来ナーバスになって作った楽曲だそうです。ウィキペディアには「夏の終わりの最後の花火大会が終わった後の切なさや虚しさなど、感傷的になり考えてしまう所を歌った曲」とありますが、インタビューでは別の事を言っています。
2007年「音楽と人」12月号のインタビューには
「俺はもう伝えないと、自分という人間のバランスが崩れてしまう状態になってしまった。日々の生活ができないぐらい。とにかく自分の曲……曲っていうか血。血を吐き出して、それをお客さんに肯定されようが否定されようがそれにアクションがないと日々の生活に支障をきたしてしまう」
と曲作りに対する苦悩が語られています。さらに「若者のすべて」に関しては、
「一番いいたかったのは最後の『すりむいたまま僕はそっと歩き出して』。今、自分はいろんな事を知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩きだすしかないんですよ。だから今までの叙情的な曲とは似ているようで違うんです」
と語っています。
凄い曲を作ってしまったという実感を、作っている途中から持ってしまい、これ以上の物を作れるだろうかという不安も生まれたのではないでしょうか?懐かしさを感じさせるようで、でも進むしかないという決意の歌でもあるのです。
歌詞の中の「最後の花火」は、地元富士吉田市の人に言わせると湖上祭の事だろうとの事。夏に富士五湖それぞれ順番に花火大会が開催され、最後に開催されるのが、河口湖の花火大会。その地元の風景を歌った歌詞が郷愁を誘います。
また、例えばラブソングを作るとして「君が好き」という言葉は使わず「君のことは嫌いじゃない」と言うのがフジファブリック流と語っているように、「ないかな、ないよな、きっとね、いないよな」と繰り返す事で、逆に想像させるような作りになっています。
こうした「若者のすべて」は、多くのアーティストからも高く評価されカバーもされています。
【カバー】