森高千里「私がオバさんになっても」歌詞に悩んでいたミスチル桜井が涙した曲

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「私がオバさんになっても」森高千里 1992年6月25日リリース

スランプだったミスチル桜井が涙した曲!

「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞し、CMでデビューした森高千里さん。当初は女優・CMタレントをメインとしたマルチな活動していましたが、ファーストシングル「NEW SEASON」で、歌手デビューを果たしてから、歌手を軸にしたいという思いが生まれます。

歌手を軸にしたいなら、作詞をした方がいいと勧められ、作詞活動を始めます。

当初は、歌の歌詞は、カッコ良く書かなければならないと思い込んでいて、いろいろ考えるのですが、浮かぶのは、よく使われているような物ばかり。そんな時に、もらったアドバイスが、「自分の事を素直に書いてみたら?」というものでした。

自分って何だろう?って、自分を見つめ直した時に、浮かんで来たのが、「私、ただのミーハー」というフレーズ。そこから初の作詞作品「ミーハー」という曲が生まれました。

こうして、自分の身の回りの事を歌詞にするという森高さんらしい、スタイルが生まれました。

6枚目のシングル、「ストレス」は、腸炎で入院した時に、お医者さんに原因は「ストレス」と言われて、思い浮かんだ曲です。

そして「私がオバさんになっても」。実は、この曲、当初は違う曲の歌詞として書かれたもので、その時は、1度、ボツになっています。

6枚目のアルバム『ROCK ALIVE』を作る時に、どうしても、この歌詞を使いたいという事で、ボツになった歌詞を見せ、その詞に曲を付けてもらったのが、この曲です。

当初はアルバムの一曲だったのですが、ライブなどで女性に人気が高く、シングルカットする事に。すると一気に、女性の共感を得て、大ヒット。この年の、NHK紅白歌合戦にも選ばれました。

肩の力を抜き、日常の身近な風景を歌にする森高千里さんの曲。

あのミスターチルドレンの、桜井和寿さんが、デビュー直前で、いい曲を書かなければというプレッシャーがのしかかり、大スランプに陥っていた時、ラジオから流れてきたのが、この曲。聞いているうちに涙が。自分が、ロックはこうあるべきと、決めつけていた事が、不自由な考えだと気づき、肩の力を抜くことが出来たのだそうです。

【カバー】

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