渡辺真知子「かもめが翔んだ日」!実は違う曲2曲をつなぎ合わせ完成した曲だった

「かもめが翔んだ日」渡辺真知子 1978年4月21日リリース

実は後で違う2曲をつなぎ合わせて完成した曲だった

1975年、第9回ヤマハポピュラーソングコンテストで特別賞を受賞したのを皮切りに、翌1976年10月の第12回大会まで、4回連続でポプコンに出場した渡辺真知子さん。「CBSソニー」のディレクターに声をかけられてデビューする事に。

しかしそこで、プロの壁にぶつかってしまいます。デビュー曲の歌詞を何度も書き直すように命じられたのです。今のようにメールの無い時代。書き直すたびに、自宅のあった横須賀から、東京・市ヶ谷のCBSソニーまで、15回以上通いました。

こうしてリリースした1stシングル「迷い道」は、セールスチャート最高位3位、約61万枚の売上を記録します。

「迷い道」の歌詞に相当時間がかかった事で、次は時間もないし、詞はプロの作詞家に頼んでみようということになりました。自分の生まれた横須賀を舞台に、女の子が失恋して、海岸で、というシチュエーションを伝えて、それを元に伊藤アキラさんが作ってくれました。

それまで、自分が書いた歌詞に曲を書いてきたので、他人が書いた歌詞にメロディを付けるのは、初めての経験で、少しの戸惑いが。その場で、その歌詞を読むと、「かもめが翔んだ かもめが翔んだ あなたは一人で生きられるのね」という部分が目に飛び込んで来て、メロディーが浮かびました。それをディレクターの前で歌ってみると、褒められ、すぐに採譜するように言われます。

こうして曲はすんなり出来たのですが、最後の最後にディレクターが「何か物足りない」と、曲の前に幕開けのような序曲を付け加える事を提案。そこで伊藤アキラさんに歌詞を2行足してもらったのが、「ハーバーライトが」の部分。その歌詞を見て、ディレクターは、次の新曲として作り始めていたメロディーを、この詞に乗せてみたら?と提案。別の曲だったのに、一曲にぴったりとまとまったのです。

さらに、曲にインパクトをつける為に、編曲は船山基紀さんを起用しました。前年に沢田研二の「勝手にしやがれ」のアレンジを担当して第19回日本レコード大賞を受賞している編曲家です。

通常は、クリックというメトロノームを聞きながら、一定ペースで演奏するのですが、この曲は、クリックなしで演奏しようと、 ミュージシャン達が言いだして、セッション形式でレコーディング。ピアノの羽田健太郎さんが、駆け回るようなピアノを弾き、その為、ノリにノって来た後半は、テンポが少し速くなっています。

さらに遊び心として、イントロでギターの水谷公生さんが、ギターでカモメの鳴き声を再現。

1978年4月にリリースされた、2ndシングル「かもめが翔んだ日」は、セールスチャート最高位5位、約46万枚の売上を記録。さらに、1978年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞します。

アマチュアだった渡辺真知子さんにプロの洗礼を受けさせ、それぞれが遊び心を注入した事で、自由に空を舞うような曲が世に放たれたのでした。

【カバー】

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