渡辺美里「My Revolution」小室哲哉が初めて他のアーティストに楽曲提供

「My Revolution」渡辺美里 1986年1月22日リリース

小室哲哉が、初めて他のアーティストの為に提供し、初めてヒットした曲!

誰かに自分の歌を聴いて貰いたいと、レコード会社のソニーが主催したミス・セブンティーンコンテストに参加し、応募者数18万人の中で圧倒的な歌唱力をみせつけ、最優秀歌唱賞を受賞。これが、渡辺美里さんの、アーティスト活動の始まりでした。

1985年、ケニー・ロギンスのカバー曲「I’m Free」でデビュー。順風満帆にみえましたが、実は、3枚目のシングルまで、セールスは芳しくありませんでした。

そこで、レコード会社は、若い才能同士をぶつけて、化学反応を起こしてみようと考えました。こうして、白羽の矢が立ったのが、TMネットワークの小室哲哉さんでした。

小室さんもTMネットワークでは、まだヒット曲を出せずにいましたが、このチャンスに、作曲者として認められたいという強い信念で作曲。渡辺美里さんの待つスタジオに、自ら足を運んで、グランドピアノを弾きながら、メロディーを伝えました。

そのメロディーを聴いた美里さんは「体中に電気が走るほど『凄い!』と感動したそうです。

実は、この曲が小室哲哉さんが、初めて他のアーティストの為に提供した曲。この曲を作った事で、ヒット曲作りのコツや方向性みたいなものが見えたと後に、語っています。

作詞を担当したのは、当時20代で、作詞家になったばかりの川村真澄さん。

まだ、美里さんに逢ったことはありませんでしたが、レコードを聴いて「この子は一人でも生きていける、強い女の子だな」という印象を持ち、そのイメージで作詞をはじめました。

こうして、3つの若い才能がぶつかって出来た「My Revolution」。初登場で、これまでの最高のチャート10位を獲得し、喜んでいたのですが、
その後、どんどん順位をあげ、8週目にしてついに1位まで上昇。渡辺美里さんの名は、この曲で全国に知られる事となりました。

【カバー】

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