「君に、胸キュン。」YMO 1983年3月25日リリース
1位を獲って解散する為に狙って作ったアイドル歌謡のような曲!
セカンドアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が大ヒット、ワールドツアーも成功させ一躍時の人となったYMO。
白人音楽でも、黒人音楽でもない、東洋が生み出す独自の世界で、世界に衝撃を与えようという、彼らの狙いは当たりました。ただし、自分たちの予想以上に当たってしまった事で、誤算も生まれたのです。
ヒット曲のライディーンは、数ある中の一曲でしかなかったのですが、求められるのはライディーンのような曲ばかりとなってしまったのです。自分たちでは制御できないYMO像が造られ、3人は違和感を感じていきます。そこで3人はリスナーを裏切る路線に舵を切る事にしました。
1981年、そんな中でリリースされた2枚のアルバム「BGM」と「テクノデリック」は、売れる事より3人のやりたい事、音楽性を強く出した作品となりました。しかし、それぞれの個性を強く出した為に音楽性の違いも生まれ、アルバムの発売後、1982年にはグループとしては実質活動休止状態に。それぞれが、ソロ活動に専念する事になりました。
そんな中で、YMOの解散の話も出始めました。だったらYMOらしく、また一つ皆を裏切って、最後に歌謡曲のようなヒット曲で1位を取って活動を終えようという事に。
そこで、歌詞は細野晴臣さんの「はっぴいえんど」時代の盟友で、売れっ子の作詞家となっていた松本隆さんに「売れそうな歌詞を書いてほしい」と、ダイレクトなお願いをしました。
曲のコンセプトは「かわいいおじさんたち」で、それまで無機質なイメージのYMOがアイドルのように振る舞う事で、ここにも意外性を取り入れ話題作りもしました。
狙い通り、曲は大ヒットしましたが、でも、残念ながら念願の1位を取ることは出来ませんでした。YMOの1位を阻んだのは、松田聖子さんの「天国のキッス」。皮肉な事にこの曲の作詞は松本隆さん、そして作曲は細野晴臣さんでした。
今、普通に「胸キュン」という言葉を使いますが、一般的になったのはこの曲がヒットしてからです。そしてこの年の10月、正式に解散する事が発表されました。ファンの事を思い、解散という言葉ではなく「散開」という言葉を使いました。
【カバー】