森山直太朗「夏の終わり」ご本人が「反戦歌」として歌っているというので、検証してみました

「夏の終わり」森山直太朗 2003年8月20日リリース

ご本人が「反戦歌」として歌っているというので、検証してみました

夏の定番曲、森山直太朗の「夏の終わり」。しかしご本人が言っていたのですが、これは実は反戦歌として歌っているのだそうです。

お母様の森山良子さんの歌う「ざわわ…」で知られる「さとうきび畑」も反戦歌です。沖縄の夏の風景を歌っているようで、のどかに見えるこの「さとうきび畑」もかつて戦場で、ここを弾が飛び交い、そこで父が死んだという事に、思いをはせるという歌です。

「夏の終わりは反戦歌」と言ったものの、どこが反戦歌なのかはご本人が解説していないので、終戦記念日が8月15日で、降伏文書に調印した9月2日なので、あの戦争を繰り返してはいけないというのを思い出す時期「夏の終わり=反戦」と捉えている人も多いようです。

さらに「焼け落ちた夏の恋唄 忘れじの人は泡沫」という歌詞から、「戦争で焼け落ちた街で恋人を亡くし、泡のように消えた」という部分をピックアップして、反戦歌としている人もいます。

反戦歌は、お母さんの森山良子さんの「さとうきび畑」に影響されて作ったのではないかと思わるのですが、「さとうきび畑」の沖縄は戦後1951年にアメリカの支配下におかれ、1972年に返還、戦後約20年たったその頃の風景を歌った歌です。

この「夏の終わり」には、もっと大きななにかが隠されているのではないかと推測してみました。

冒頭の「水芭蕉揺れる畦道、肩を並べ夢を紡いだ」という歌詞。水芭蕉の時期は5月〜6月とされ、歳時記では「初夏」とされています。夏の始まりに恋の始まりを重ね、夏の終わりをに恋の終わりを重ねる、最初はそういう意味だと思っていました。しかし、反戦歌と聞いてから、水芭蕉揺に俳人の松尾芭蕉を重ねているのではないかと思うように。

霞立つ野辺に夏草は茂り、
あれからどれだけの時が徒(いたずら)に過ぎただろうか 
せせらぎのように誰かが言いかけた 言葉寄せ集めても 
誰もが忘れゆく 夏の日は帰らない

「夏草は茂り、あれからどれだけの時が徒に過ぎただろうか」という歌詞は、松尾芭蕉の奥の細道で平泉を詠んだ「夏草や兵どもが夢の跡」を元に書かれているのではと思えてきました。そう考えると

「せせらぎのように誰かが言いかけた 言葉寄せ集めても」

は、芭蕉の句とも解釈出来るのではないでしょうか?

平泉は平安時代に奥州藤原氏が繁栄を築いた地として知られています。兄の源頼朝に追われた義経は、藤原秀衡のもとに身を寄せますが、そこで最後を遂げます。頼朝は義経を長らくかくまっていた事を罪として、奥州藤原氏を滅ぼしました。

戦により、かつて繁栄した街が消えてしまった事を詠んだ「夏草や兵どもが夢の跡」。

これは空爆や砲撃で歴史ある町並みが破壊される現代の戦争にも繋がります。ウクライナへのロシアの空爆映像でも美しい街が壊され瓦礫となりました。

芭蕉の句をモチーフにする事で、大きな意味での反戦歌「戦争は何も残さない」「亡くなった方には会いたくてあえない」というのを歌っているのではないでしょうか?

【まとめ】アーティストが歌った反戦ソングと、そこに秘められた思いとは?
ロシアによるウクライナ侵攻により、今、反戦ソングに注目が集まっています。恋愛の歌や夏の歌だと思っていた曲が実は反戦ソングだったりもするので...

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